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    【取材してきました vol.021】宮城県父子の会:第1回~一人で子育てする困難さは父子家庭も同じ~

    投稿:   更新:2018/03/27

    カテゴリー:宮城県 仙台市 離婚・別居 地域別情報 特集記事

    離婚直後から、祖父の介護、子育て、家事に追われる生活をしていたと語る村上さん。父子家庭支援にエネルギーを注ぐ村上さんのお話をお伺いしました。どうぞご覧ください。

    ウタリくらぶでは、実際にひとり親当事者や支援者である方にもインタビューを重ね、家庭生活や子育て、働き方についての生の声をお聞かせいただき、読者の皆様により身近な情報をお伝えしています。ウタリくらぶ担当記者・西川明子です。

    今回お話をお伺いしたのは、宮城県在住のシングルファーザーで、全国父子家庭連絡協議会理事、宮城県父子の会代表の村上よしのぶさんです。(この記事は5回にわたって連載します。)

    第2回~誰も訴えていないなら、じゃあやってやろうじゃないか~】を読む→

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    取材のきっかけ

    昨年、ウタリくらぶで取材をさせていただきました「えぞ父子ネット」代表・上田さんから、かつて母子家庭のみにしか支給されていなかった児童扶養手当を、父子家庭にも拡充するよう、全国の父子家庭団体の代表者と集まり、政策提言をして実現させたという宮城県のお父さんがいるということをお伺いしていました。
    その後も東日本大震災の被災地になった宮城県で父子家庭への支援にあたるなど精力的に活動をされていたとのことです。
    ぜひ直接お話をお伺いしてみたいと思い、平日夜に電話取材をさせていただきました。

    【ウタリくらぶ内関連リンク】

    【取材してきました vol.014】えぞ父子ネット:第1回~父子家庭はカッコ書きだった~

    村上よしのぶさん プロフィール

    宮城県仙台市在住、高校1年生の男子、中学3年生の女子の父親(2018年3月現在)。
    全国父子家庭連絡会理事、宮城県父子の会代表。
    離婚直後に病気で倒れた祖父の介護、幼子二人の育児のダブルケアが始まる。
    祖父の他界後、長男の病気のため長期入院生活を余儀なくされ、八戸市から仙台市に転居。生活保護を受けながら看病した。
    父子家庭に児童扶養手当支給を求める政策提言、東日本大震災で妻を亡くした父子家庭の支援に当たり、夫に遺族基礎年金支給を求める政策提言し、支給の実現をした。
    現在は母子父子医療費助成の現物給付を求める活動をしている。

    【参考リンク】

    【関連動画】

    ※ 現在進行中、クラウドファウンディングの取り組み

    取材にあたり、FNSドキュメンタリーを見て

    ●ウタリくらぶ担当記者・西川明子(以下、西川):
    こんばんは、今日はお疲れのところ夜分にお時間を割いていただきありがとうございます。
    村上さんのことは、「えぞ父子ネット」の上田さんよりお伺いしていました。どうぞよろしくお願いします。

    ●宮城県父子の会代表・村上吉宣さん(以下、村上):
    上田さんは地元密着型の父子家庭支援をされていますよね。よろしくおねがいします。

    ●西川:
    取材の申し入れをさせていただいた際に、送っていただいた動画やサイトはすべて拝見しました。
    FNSドキュメンタリーは、お子さんたちがまだ小さくて、ちょうど児童扶養手当を父子家庭に拡充させるための政策提言活動を行っている所に密着されていましたね。
    再現ドラマではなく、リアルタイムに政府に働きかけている様子が撮影されていて、まさに歴史が動く瞬間ということに驚かされました。
    番組の中で、育児負担を感じていた妻が家を出た後、おじいさんが病気で倒れて、育児と介護のダブルケアが始まったとありましたが、当時のことを改めてお話し聞かせていていただいてもよろしいですか?

    ●村上:
    僕も母子家庭で育っていまして、当時、家族の中で車を運転できるのが僕だけだったんです。
    病院を転々としたり、役所での手続きなどスピーディーに行う必要があったので、離婚直後から、祖父の介護、子育て、家事に追われる生活をしていましたね。
    離婚は平成15年9月、その年の10月に祖父が倒れて、16年3月に祖父が亡くなるんです。
    一番しんどかったのは、平成15年。
    前の年の12月に息子がインフルエンザ脳症にかかり、その時はインフルエンザ、突発性発疹、三日はしかの併発が原因だったんです。
    熱性けいれんや、てんかん発作を起こしやすい状況になっている中での離婚だったので、祖父の介護をしている最中にも、息子は熱を出すし、救急病院に駆け込む。
    そして入院するという病気治療も加わっていたので、本当にバタバタだった記憶があるんです。
    祖父が亡くなる前の月まで、息子が一か月入院していたこともあり、退院して祖父を見送って、やりきった感があり、ほっとしたところで、すぐ息子が原因不明の高熱を出して、八戸市立病院に入院してそのままずっと3か月入院しました。
    状態が回復せず、EBウィルスによる血球貪食症候群であろうという診断がつき、治療できる医師が仙台市にいることが分かりました。
    16年6月16日に仙台市立病院に救急搬送されて、そこから仙台での生活が始まりました。

    一人で子育てする困難さは父子家庭も同じ

    ●西川:
    離婚直後から介護と看病のダブルケア、治療のために転居もされたんですね。

    ●村上:
    24時間付き添いをしなくてはならなかったので、病院にそのまま住んでいる状態になっていました。
    ですから仕事ができないんです。
    娘は実家に預けて、16年6月から12月まで半年間、抗癌剤を使った治療をするために入院しました。
    入院後、1、2か月は児童手当で暮らし、息子の医療費は特定疾患のため高額療養費助成によりかかりませんでした。
    ただ、付き添いの親のための食事、子どものためのおむつ代を捻出することが難しい状態になってきていました。
    退院したら元気になるもんだと思っていたんですが、外来での抗癌剤治療が必要ということになり、引き続き仙台に住まなくてはならなくなり、その頃から生活保護を受給するようになりました。
    そしてその後、8月に急性骨髄性白血病と診断され、翌年の1月25日に娘がドナーになって骨髄移植をしました。

    ●西川:
    まだ幼い息子さんの壮絶な闘病生活は、ドキュメンタリー映像でもとても痛々しい様子でした。
    お子さんの看病のために働くことが出来ないという事で、生活保護をやむなく受給されるのですが、とてもご苦労があったようですね。

    ●村上:
    父子家庭で困ったなと思ったのは、生活保護を申請するときに、保護課の職員から、「なぜ父子家庭が金銭的に困っているの? お父さんは元気なんだから働けばいい」と言われました。
    その時には、まだ児童扶養手当が父子家庭に支給されていないことはあまり気にしていませんでした。
    しょうがない、そのうちにどこかの誰かがどうにかするだろうと。
    息子が寝ている日中の4、5時間の間に毎日保護課に交渉に行って、1か月かけてやっと理解してもらって保護を受けることが出来るようになったんです。
    母子家庭にある制度が父子家庭にないことで困ったのではなく、生活保護を受けるまでの様々な手続きが最初の困りごとでした。

    ●西川:
    当時、大変なご苦労をされていたのですね。
    先日、ご自身が難病にかかり、一時期生活保護を受給していたシングルマザーさんにもお話をお伺いしていました。
    村上さんの場合、ご自身ではなくお子さんがご病気ということで、「お父さんは働けるでしょ」といった言われ方をしてしまったのですね。

    [ウタリくらぶ内リンク]【ひとり親事例紹介 vol.015】 本多真弓さん:第4回~プライドは娘のために捨てようとおもった~

    ●村上:
    その当時は、生活保護申請をなかなか受け付けないのが主流で、今は仙台市に転居しなくても申請ができるという知識があるんですけど、その時は「住民票を移して住居を確保しなさい」と言われて、ママさん友達に親戚が経営しているアパートを貸してもらえることになったら、今度は、「生活実態がないと駄目です」と。

    ●西川:
    生活実態ってどういう意味ですか?

    ●村上:
    住居が生活出来る空間になっているか。
    冷蔵庫、布団、洗濯機があって、掃除洗濯ができる状況の事です。
    またママさん友達の親戚から、倉庫に眠っていた家具をもらって実態を作ってはじめて、保護課に生活保護受給を承認してもらったんです。

    ●西川:
    お子さんの看病のためにやむをえずに申請しているのに、いろいろな手続きや決まりがあって、例外は認めないような不寛容さを感じました。
    生活保護を受けることに関してはどうお感じでしたか?

    ●村上:
    保護を受けることには負い目は全くなくって、あくまでも制度の活用という考え方で、日本国民が困った時に使って再生していくための自立支援の仕組みなのに、母子家庭、父子家庭とくくられなくちゃならないのかと、一人で子育てをしている困難さは母子家庭も父子家庭も同じなのに、その区別に引っかかったんですよ。

    ●西川:
    そうですね、そうなると子育てするのは女性の仕事だ、みたいな決めつけに感じます。

    ●村上:
    父子家庭で子どもを育てている状況を、周りの人からは「頑張っているね」「偉いね」と評価をもらうことがあるんですけど、「どうせ俺、仕事していないから」となぜか素直に受け入れられない自分がいて、僕の中にも男は仕事という価値観が根深かったものですから、保護を受けているということよりも、仕事をしていない自分に価値を見出すことが出来なかったんです。
    自分に評価ができないという苦しさがあったんですよ。
    女性が専業主婦として、子育てや家事をして家族を支えていることに、ある程度プライドを持つ事ってあると思うんですけど、僕には自尊心を持つことが出来なかったんですよ。
    なんていうか、社会の一員になっていない感覚。男として、父親として、という今思うとくだらない考え方だなと思うんですが、そういう自分の中の価値観が、一番自分を苦しめたなと思います。
    当時の僕は、子育てをしている自分を認めてあげられなかったというか。
    反面、「そんなに俺が悪いのか」という風にも思っていましたね、子どものいのちを守るために精一杯やっているとも思っていたし、自分しかいないんだという使命感もあった。
    そういう感覚はね、つい最近まで続いていたんです。
    平成20年に全父子連を作って活動をして、ようやく仕事ができるようになって少しその気持ちがすっきりし始めているんです。

    ●西川:
    ドキュメンタリーでは、ハローワークに行く様子や、ようやく就職が決まってパソコンのメンテナンスのお仕事をしている様子も収録されていましたよね。

    ●村上:
    その時がようやく自分の社会復帰、自分を認められるようになってきたころでした。

    ●西川:
    お父さんは家の大黒柱であるといったイメージの、ですかね。

    ●村上:
    頭ではわかっているんです。
    男でも女でも、得意な方がやったらいいと思うし、共稼ぎでもいい。
    男の方が専業主夫でも、女がバリバリ働く逆転夫婦でもいいじゃん。
    でも、自分の中に深く根付いている「男は仕事、女は家庭」という考え方が父子家庭になってから僕を苦しめていたんです。
    その苛立ち、そのエネルギーを爆発させる題材がたまたま、児童扶養手当を父子家庭に拡充を求める活動につながっただけなんですよ。

    ●西川:
    なるほど。政策提言のような活動自体が、もともとお好きだったわけではないのですね。

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    【取材してきました vol.021】宮城県父子の会:第2回~誰も訴えていないなら、じゃあやってやろうじゃないか~」に続く…

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    投稿:   更新:2018/03/27

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